『渋旗』渋さ知らズ
| 2001 日本 | |
|---|---|
| ダンスミュージックとしての強度 | |
| ジャズならではの即興性とスリル | |
| 決め事や束縛から自由である風通しの良さ | |
| 岡本太郎度 | |
| 総合点 | |
~過剰すぎる足し算の美学から生まれる謎の感動~
人間、大人になってくると「引き算」の美学に惹かれるようになります。
必要最低限のものだけあればいい、みたいな、枯れた良さがわかるようになってくるんです。なんでもかんでも好きなものを詰め込んでいくっていう、足し算の発想が、青臭くダサいに感じられてくる年頃ってあると思うんですよね。
で、だいたい二十代後半から三十ぐらいにかけて、そうやって大人の階段をのぼっていくわけですが、それと同時に音楽の趣味も変わったりもします。だいたい、ジャズとか聴きたくなったりするんですよね。大人=ジャズみたいな。さらにさっきの大人=引き算っていう式も含めて整理してみるると、大人=ジャズ=引き算っていう解がでます。
ジャズ=洗練された大人の音楽すなわち無駄を排除した美学、みたいな一般的なイメージは、こういうところからきてるのかもしれません。ドラムとベースとピアノもしくはトランペット、みたいな最小限の編成でひたすら渋く渋く演奏するジャズバンドの絵ヅラが浮かびます。
ところがですね、そんな渋い引き算の美学なイメージとは正反対の場所に、とんでもないジャズがあったのです!
それが、渋さ知らズオーケストラ。
1989年からずっと地下で活動していたジャズバンドですが、2001年のフジロック・フェスティバル出演を期にロックファンにも認知されるようになり、現在は世界をまたにかけて精力的に活動しているんです。
今回紹介する『渋旗』は、ちょうどフジロックに出演するかどうかぐらいのブレイク前夜といった時期のライブを収録したライブアルバム。現在でもライブの定番になっているような曲が何曲も収録されています。
ライブを観た人はわかると思いますが、渋さ知らズのライブって、ドラム、ベース、ギターにキーボードにパーカション、バイオリン、歌、そしてトランペットやサックスやトロンボーンなど、およそジャズやロックで使われるような楽器はすべて登場し、さらに前衛舞踏やポールダンスのダンサーなんかもうじゃうじゃと出てきて、客席の上空には巨大な生き物の風船が漂うという、ひたすらにカオスな状態なのです。
同じパートを演奏するプレイヤーが何人いても、おかまいなし。フレーズの棲み分けとかも基本的にはしない。このアルバムからも、そんな過剰な足し算っぷりが十分にうかがえます。
また人数だけでなく、ジャズ界にとどまらず、ロックやジャムバンドや前衛音楽など多方面から雑多な人種が集まってきているため、音楽性もものすごく散らかってます。ややこしい変拍子あり、フリージャズ的なソロの応酬あり、歌モノあり、ジプシーブラスみたいなフレーズがあるかと思えば、ストレートな8ビートもやったりする。今回も便宜上ジャズと分類しましたが、ジャンル分けは限りなく不可能に近いです。そこがまた魅力っていう。
が、あえて音楽的な特徴を言うとすると、主旋律の強さ。単純で印象的なフレーズをパンチラインとして繰り返す曲が多いです。「ラララ」で歌えるような。
『渋旗』に収録されている曲だと、「火男」や「Pチャン」あたり。東欧のジプシーのブラスバンドを思わせる、オリエンタルでコブシの効いたラインがかっこいいです。ロック的なキメがあったり踊れるビートだったりで、これらの曲がものすごく強力なダンスナンバーになっているのです。ロックフェスの観客を完全にトリコにしたのもこのあたりでした。
かと思えば、「ライオン」のような1曲が20分を超える大長編の曲も。この手の曲は、主にライブのオープニングを飾ることが多いですね。じーっくり時間をかけて曲を組み立てて立ち上げていく。日頃は3~4分のポップソングを聴き慣れた我々からすると、ものすごく贅沢な時間の使い方です。『もののけ姫』に出てきた巨大なダイダラボッチが、夜の闇の中でゆーっくりと活動を始めるような感じです。
他の曲もだいたい7分ぐらいとけっこう長めのサイズなのですが、メインのフレーズが強いのと、ツワモノぞろいのプレイヤーたちのせめぎ合いがスリリングなので、そんなに長さは感じないですね。集中してひとつひとつの音を丁寧に聴くのも楽しいし、全体をグルーヴのカタマリとして捉えて踊りながら聴くのも最高だし、いろんな楽しみ方が可能でございます。
まあどちらにしても、過剰な足し算が謎の感動を生んでいることは感じられるはずです。今まで味わったことのない、まだ名前のない感動です。
2010/05/24 14:42 | カテゴリー:ジャズ / フュージョン / 現代音楽 | trackback(0)
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